2月29日はエアバリコン記念日。 |
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今やFMチューナは電子同調回路で選局はUP/DPWNボタンを押し周波数が番組表に書かれた数字で表示されることが当たり前になりました。 私が回路設計を始めた時代はエアバリコンの軸にプーリーを取り付け張った糸でノブの軸を回し、SメータとTメータを見ながら目盛板に指針を合わせていました。設計技量が上がり製品が連続して高評価を貰い、バリコンFMチューナは会社の稼ぎ頭でした。エアバリコンの供給元のアルプス電気が生産を終結するとは夢にも思いませんでした。当時の会社は中級機以上で業界一位のFMチューナ生産量でした。アルプス電気によると、AM2連、FM3連以下のエアバリコンが全生産の90%を占めいました。得意としていたFM4連以上のものは僅か10%しか生産されていませんでした。その中の90%を購入していたとのことでした。AM2連、FM3連以下のエアバリコンはコストの要求が厳しく、ポリバリコンで代替も出来、海外からのコピー品も出回っていました。コスト的に優位があるFM4連以上のもののほとんどを一社に供給していることは、企業として望ましい状況ではないことから、エアバリコンの生産事業を完全に終結する決断をしたとのことでした。当然、生産続行の交渉をしましたが叶わず、不本意でしたが予測した数量を納めてもらい、生産終結を受け入れざる得ませんでした。32年前の昭和59年(1984年)2月29日のことでした。 シャフトの反対側にある局部発振に使うセクションは目盛の精度を決めており手作業で羽の調整が行われていました。記念品の銘坂にある工場は農業地域に隣接していたので、農繁期には調整の人が休まれ必要数が納入出来ないこともありました。のどかなエピソードも懐かしい思い出です。 好むと好まざるに関わらず、電子同調回路方式(通称、シンセチューナ)に移行しなければなりませんでした。理論ではエアバリコン並みの性能は得られると言われていましたが、いざ設計を始めてみると様々な問題が未解決であることが分かりました。そのことは関しては機会があれば書き留めたいと思います。 写真はFM3連バリコンで入門機クラスで使われた物に金メッキを施し樹脂封入した記念品です。据置チューナでケーブルを含む外部アンテナを使う場合の最小の連数です。高級機はバリコンの連数を増やし高性能化します。記憶では11連が存在したと思いますが検索しても見つからず、KT-9700やST09700で使用された9連が最多でした。 |
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オーディオ懐古録 http://www.niji.or.jp/home/k-nisi/st-9700.htm より拝借。 |
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